他山の石
議会の一般質問などでもよく出てくるこの言葉ですが、本来の意味ではなく、誤用されているケースもよくあります。単に聞いているだけなら別に構いませんが、会議録を調製する立場となると、困ってしまうこともあります。
以下は2年ほど前の国会のある委員会記録の抜粋です。
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まず、質問に入らさせていただきます前に、今回問題となっております学校法人森友学園への国有地売却に関する決裁文書が書き換えられました問題につきまして、これは司法、立法、行政の三権分立をうたった民主主義への冒涜とあり、決して看過することのできないゆゆしき問題であります。私たちは国会議員も政府の皆さん方もお互いに国の最高機関の一員としてこの問題を他山の石と考えるのではなく、捉えるのではなく、私たち自身に置き換えて自らの身を律し、そしてお互いに職責を尽くしていかなければいけないというふうに思います。このことを冒頭申し述べまして、以下質問に入らさせていただきたいと思います。
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「冒涜とあり」や「私たちは国会議員も」など、他にもツッコミたくなる箇所はあるのですが、今回はテーマの「他山の石」についてです。典型的な誤用の例ですが、最近ではこういった形で通用してきつつあるのかなとも思います。いわゆる「対岸の火事」的な意味で使ってしまっている例ですね。
あるいは、大昔に友人の結婚式に出たとき、新郎側の代表者としてお祝いのスピーチをした人が新郎のことを「他山の石なので、結婚を機に磨けばどんどん光る男です」というようなことをおっしゃっていて、おいおい……と思ったこともありますが、これは「他山の石」を、いいものや優れたものという意味で使ってしまった誤用の例ですね。個人的な酒席ならいさしらず、結婚の披露宴で新郎に「おまえはつまらんやつだが、結婚を機に……」などと言ってはいけませんよね。
この言葉、原典は「詩経」の「他山の石以もって玉を攻おさむべし」ですが、簡単に似たような言葉で言い換えると「人のふり見て我がふり直せ」ということになります。これなら間違って使ってしまうことも少ないと思いますが、「他山の石」と言われると、何か立派なものと思ってしまうのかもしれませんね。「玉石混淆」という言葉があるように、「石」は余りいいものとしては出てきませんので、気をつけましょう。
さて、上で紹介したように間違って使われた場合の会議録での処理ですが、これはちょっと悩ましいところです。誤用がそのまま社会に認められてしまう「独壇場」のようなケースは結構あるのですが、「他山の石」も正しく使用している人は、10年ほど前の調査でも25%ぐらいしかいません。だからといって誤用を積極的に認めるのは余りいい気はしませんが、議会の会議録は、自分で文章を考えるのではなく、他人が話したことを文字にしていくわけですから、上記の国会の例のように、とりあえずはそのままでいかざるを得ないのかなとも思います。もちろん、地方議会では議員に発言の訂正権があるので、「『対岸の火事』にしてくれ」とか「『他山の石として』にしてくれ」といった申し出があれば、手続を踏んで訂正もできるのでしょうけれど。