参議院で速記者を廃止
秋の研修会シーズンでばたばたしていたら、あっというまに師走になってしまいました。これはいかん、ということで久しぶりの投稿ですが、はてさて何からいこうかと思っていたら、タイトルのような見出しが各紙で掲載されたので、それについて少し私見を述べておきたいと思います。
私も元速記者なので、一般の方に比べて、速記というものに対する特別な感情はやはりあるのだろうと思います。そういう意味では、その思いが場合によっては偏見のような形で漏れ出ているかもしれませんが、その辺はよろしく斟酌をお願いします。
さて、見出しですが、今改めて見直すと各社で大分違いが出てきていますが、最初に出たときは「参議院、速記者の廃止を決定 人材減少踏まえ」というところが多かったように思います。私は、この見出しにちょっと腹が立ったんですね。まあ、見出しというものは人の目を引かなきゃならない、そして簡潔にある程度の内容が分からなきゃならないということで、そういう意味では、例に挙げた見出しは別に問題はないわけです。決してうそは書いていないし、特別な誇張もないと思います。普通の人が読めば、単に事実を書いているのねということになるのかもしれません。
そこで、その記事をちゃんと読んでくれたらまだいいのですが、この見出しだけでこの記事とさよならしてしまった人の頭にはどういうイメージが残るのかなと考えたときに、「ああ、速記者になりたいという人が減ってしまったのね。そりゃ今の時代、そうよねえ」ということになるのが普通かなと思います。まあ、中には「いまだに速記なんて使っていたのか」と思われる方もいらっしゃるだろうし、国会中継で本会議場の真ん中に座っている速記者の姿がなくなることに一抹の寂しさを感じている方がいらっしゃるかもしれません。
そういうことはさておいて、私がちょっと腹が立ったのは「人材減少」という言葉。確かにそのとおりです。国会速記者の数はどんどん減っていっています。参議院では、参議院速記者の養成所をかつて持っていました。そこでは毎年10人ほどが速記を学び、約半数が衆議院で速記者として、あとの半数は地方議会などで活躍してきたわけです。ところが、平成19年(2007年)1月に養成所は廃止されます。その結果、参議院への新規速記者の配置は平成18年(2006年)10月が最後となりました。つまり17年前に後継者がゼロになることを既に決定していたわけで、あとは年々速記者の数が減っていくのは自明の理だったわけですね。
養成所の維持にはかなりのお金もかかるでしょうから、そのあたりがやり玉に上げられたのではないかと思いますが、年間10人ぐらいしか養成しないのですから、応募者が定員割れをするなんていうことはあまり考えられません。もちろん、少子化の影響で全体の応募者の数は減っていたでしょうが、やる気があれば幾らでも続けられたはずです。しかし、お金の面を優先させて廃止してしまった、私にはそうとしか映りません。
その辺は参議院のお考えですから私がとやかく言うつもりはありませんし、今回の記者発表がどういう言い方でされたのかも存じませんが、「人材」と言われると、いかにも速記者を目指す人が減ってしまったというニュアンスが強くなるような気がするわけで。「減った」んじゃなくて「減らした」んだろうと。いや、「自ら切った」んだろうと。浄水場から水を出す栓を閉めれば、そのうち家庭の蛇口から水が出なくなるのは当たり前なわけで、その元栓を閉めたことをしっかり書いてほしかったなと思うわけです。ある新聞には「新規採用がなく、速記者が減少していることなどを理由に」とありましたが、「新規採用がなく」じゃなくて「新規採用をやめた」んでしょうよと。
今の時代、参議院の本会議の場での速記者臨席の必要性については議論のあるところでしょう。速記者の立場としてはいろいろ訴えたい面もありますが、なかなか理解してもらえないところもあって廃止の方向に向かうこと自体は仕方ないのかなとも思います。それは参議院でお考えになったらいいことですし、既にコロナのときから隣席していなかったという既成事実もあるわけです。なので、隣席についてはどうでもいいわけですが、速記者が減った理由は正しく、しっかりと、まず最初に書いてほしいなと思ったわけです。決して「人材が確保できない」というわけではなく、「人材を確保することをやめた」わけで、その理由の大きなものはお金の問題だけだったのではないかと。そのとき廃止を決めた人たちはもう退職したり、中には鬼籍に入られた方もいらっしゃるかとは思いますが、今回の見出しをご覧になってどう思っていらっしゃるのでしょうかね。
見出しの細かい表現にかみついてと思われる方も多いでしょうが、公務員速記者の養成廃止問題については、平成9年(1997年)に裁判所速記官の養成がストップされたとき、「次は国会」と思っていましたが、予想どおりの経過を経て、「順調に」現職は減ってきているわけです。それを傍観していた速記界にも責任はあるだろうと思ったりもしますが、私が一番問題だと思うのは、会議録作成というのは速記が書ければ完結するわけじゃなくて、速記したもの(あるいは今なら録音したもの)を普通の文字に直す「反訳」という作業が絶対必要なわけで、それを誰が担うのかという問題です。
現在、参議院(衆議院も)では速記者が減った分、一般の職員を異動させてその任に当たらせていますが、記録の専門家として教育を受けて長年現場を経験してきた速記者がまだ残っているうちはいいですが、その人たちがいなくなったら誰が記録の精度を維持するのかという点では非常に心配しています。衆議院では音声認識も使っていますが、100%の認識率は不可能なので、必ず誰かが手を入れて限りなく100%の精度に近づけるわけですが、それを速記者なき後は誰がするのか。記録部専属で10年、20年……と退職まで続けていくシステムならまだいいですが、数年で異動してまた新しい素人さんが来てという状況だと、ちょっと先が思いやられる感じがします。
今でも、速記という技術に興味を持ってくれる若者はいるし、2年間、養成所で一定の手当を支給してもらいながら速記の勉強をして、その後は国会の速記者つまり公務員として採用される、しかも定員10人ぐらいの求人には多くの応募があると思うんですが、まあ、それはまた別のお話ですね。とりあえず、参議院での速記者廃止のニュースは、17年前に元栓を閉じたので、そろそろ家庭の水が出なくなりますよというだけのお話。その元栓を閉めたのは上層部のお偉い方たち、そしてそれを認めたあほな議員たち。「AI音声認識の時代だから会議録は簡単に作れる」と思っていらっしゃるのだとしたら、恐らく会議録作成の未経験者か低レベルなものしか作ったことのない方かもしれませんね。