「発言取消」を考える(4)
「発言取消」は、議場の秩序維持や議会の権威・品位保持の面から重要な規定で、これをなくすことに私は反対です。一方、傍聴や報道、口コミで流れてしまった情報を止めることができないのも事実です。昔のように、議会で取り消せばOKという時代ではなくなっています。
では、この「発言取消」の規定をどう考えればいいのでしょうか。以下、法学的な要素は無視した全くの私見ですが、私なりにこう解釈しています。
取消となる発言にはいろいろなものがありますが、話を簡単にするために、誰が聞いても「これは駄目だろう」というような、例えば明らかな差別発言をした場合ということで考えてみたいと思います。
本会議の一般質問などで議員から差別発言がなされたら、通常はすぐに議場で何らかの反応があり、その発言の取扱について協議されることになります。誰が聞いても問題があると思われるような発言であれば、発言取消の処理を行っていくのが普通の流れでしょう。これは、問題発言を隠すという意味ではなく、そのような発言を見逃していたのでは議会としての見識が問われることになるから、議会自ら、ルールに則って発言を取り消すという性格のものです。
仮にこういった取消が一切認められないとすると、人権や個人情報などの面で大きな問題を含んだ発言は、そのままの形で会議録を通じて広く公開されていくことになります。確かに発言された言葉ではあっても、それがそのまま生き残っていくということは、議会としてその発言を容認した、あるいは野放しにしているという批判につながるのではないでしょうか。
一方で、仮に発言を取り消しても、一旦流れてしまった情報は消えません。現在はネットを中心にどんどん拡大していきます。しかし、それについて議会として打つ手はありません。議会から提供する録画などでは該当の部分を削除できますが、外部に流れてしまった情報は取り返しがつきません。問題によっては、連日テレビのワイドショーでそれが取り上げられるといった事態にもなるわけです。
「発言取消」の効力は、議会外部での問題にまでは及びません。したがって、議会としてその発言をどう思うかということを、「発言取消」などを用いて明確にするしかありません。あんな発言は議会・議員として容認できないんだ、同じ言葉が再生産されることも認めないんだという意志を示す手段の一つが「発言取消」で、それによって以後の議会からの情報発信ではその言葉は封印されるということですね。
「取り消したって、その言葉はネットなどでどんどん拡散されているじゃないか」と言われても、それについては関知しないという態度でいくしか仕方ありません。本当は議会の意志を酌んで拡散を止めていただけるといいのですが、それは無理でしょう。議会としてその発言は許していない、取り消したんだということを訴えていくしかありません。
現状、確かに「形だけの取り消しで、実際の効力はどうなの」と言われれば苦しいところですが、やはり「議会としての意志」を明確にしておく意味でも重要な規定だと思います。少なくとも議会側からその言葉による差別などの再生産を行ってはならないという意味から、やはり会議録では該当部分を伏せ字し、動画も該当部分をするなど、一定の処理が必要でしょう。配付資料にその文言が載っていたのなら、その公開にも一定の配慮が必要になってきます。そういう意味で、足立区議会でいまだに問責決議案がそのまま公開されているのはどうかなとは思っています。
誤解してほしくないのは、「発言取消をして隠蔽する」のではなく、「議会としての態度を明確にする」という意味での処理であるということです。今の時代、この「発言取消」についてはそう捉えざるを得ないのではないでしょうか。