うがった見方とは?
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局長は非常に優等生なので差しさわりのないような答弁をされていましたけれども、そういうことでは全くないということだけははっきり申し上げておきたい。スマートシティーのために提出したんじゃありませんから、うがった見方をされないように、よろしくお願いしたいと思います。
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このような形で使われることはよくありますね。私なども油断すると、つい使ってしまいそうになるわけです。この場合の「うがった見方」は、変な見方とか、曲解したような見方とか、ひねくれた見方とか、そんな感じで使われているわけですが、それはこの言葉のそもそもの意味ではありません。
「穿つ(うがつ)」とは、例の「新明解」によると「人情の機微や事の真相などを的確に指摘する」と解説されています。もともとは「穴を空ける」意味で、「雨垂れ石を穿つ」というような言葉もありますね。ですから、本来は「物事の本質をつく」というようなことで、冒頭で紹介した国会会議録のような使い方ではおかしな言い回しになるというわけです。
ところが、10年近く前の文化庁の調査では、「疑って掛かるような見方をする」という間違った意味で使っている人が約50%となっています。正しい意味で使っている人は26%ほどとのことですから、完全に誤用が幅を利かせてしまっているわけですね。
この誤用の原因説としては、辞書でもすぐ近くに見出し語として出ている「うがち過ぎ」という言葉があります。これまた「新明解」では「もっともらしい推測を交じえ過ぎて、かえって真相とは異なる判断をすること」とありますが、この言葉が「うがつ」のほうにも影響してそんな誤った使い方が広まってしまったのではないかということです。
こうなってくると、会議録でも一定容認せざるを得なくなります。ただし、正確な意味で使う人も一定はいるわけですから、その本来の正しい使い方を間違いと勘違いして変な校閲をしないように気をつけなければなりません。また、個人の質疑・質問ならまあいいとして、例えば意見書や条例など、議会としての正式な文書で使う場合は、やはり誤用は避けるほうがいいと思います。