「会議録」の価値


地方自治法が規定する「会議録」は、議員全員が出席して最終的な意思決定を行う場である本会議の記録ですが、その「会議録」はどんな価値を持っているのでしょうか。

一言で言うならば、その議会としての「活動の記録」が会議録であるわけで、どんな議案が提案され、どういう議論があって、どういう手順をたどって、最終的にどういう結果になったということが全て記録されている、非常に重要な公的記録ということになります。そこで議論されるテーマは、どれもその地域の住民にとっては身近で関係の深い事柄ばかりで、本当なら、その会議録はその地域のベストセラーになってもいいはずだと、これはもう遥か昔からそう思ってきました。

ところが、実際はどうでしょうか。理想と現実が違うことはよくありますが、「会議録をベストセラーに」という私の願いは、なかなか叶えられそうにありません。それどころか、「学芸会」とか「発表会」などと揶揄されるようなこともしばしばです。会議録は本来とても重要なものであるはずなのに、そこで行われる議論が薄っぺらいものになってしまっていたら、「会議録なんて」という話になってくるのは自然な流れです。まあしかし、仮にそうなったとしても、それは会議録が悪いのじゃなくて、そこで行われる会議の内容が悪いということで、会議録に罪はありませんが。

会議録は、永久保存が基本です。他の委員会の記録などは保存年限がもっと短いと思いますが、会議録は数少ない永久保存文書です。ということは、10年、20年、いや、数百年という長い期間、保存されることになります。会議録が作成されてから間もないときは、その会議録は「先日の会議の記録」ですが、数百年たって読まれる会議録は、もはや完全な「史料」です。それも第一級の。

現代に生きる私たちは、歴史を解明するときに、現物(遺跡や化石など)と史料(古文書など)から1つ1つのピースを埋めていきます。災害や戦争で貴重な史料を失い、解明できていないものもたくさんあるわけですが、そんなときに完全な形で記録された「会議録」が1つあれば、どれほど助かるでしょうか。つまり、私たちが今作成している会議録は、確かに今を生きる人々のために作成するものではありますが、同時に、遠い未来の人たちへの歴史的な遺産でもあるということです。

議会というところは、何も難しいことを、ややこしい手続で行っているわけではありません。提案された1つの事柄について、まず提案者の説明を聴きます。そして、疑問点があれば、それを質します。納得できない点があれば、議論を闘わせ、修正を求めて、よりよい形にして、決定していきます。その過程の1つ1つを確実に記録しているのが会議録です。地域の住民にとってはとても大切な事柄が詰まっている記録のはずです。万が一、そうであるべき会議録が本来の姿でないとしたら、「会議録なんて誰も読まない」というのなら、それは議会活動の中身に問題があるのだと思います。

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