会派の功罪
統一地方選挙が終わってほぼ1か月。新しい議会がスタートし、会派が結成されているところも多いと思います。規模の小さい町村議会では無所属の議員が多いでしょうが、都道府県や市区議会では会派が結成されるのが一般的なのではないでしょうか。
会派とは、似たような考えを持つ議員たちがつくるグループのようなものです。国会では政党ベースでがっつりつくられますが、地方議会では、政党をベースにしながらも、中には同じ政党でも会派は別といったところもありますし、無所属の議員がかなりいるような議会もあります。
会派は、もともとは単なるグループで、法的な根拠のないものでした。したがって、会派の代表者が集まって会議をしても、それは正式な会議ではなく、費用弁償の対象にもなりませんでした。今は政務活動費の関係で地方自治法でも会派というものが認められたので、法的根拠もできましたし、条例で会派に政務活動費を交付することができるとされていれば、ある意味、会派がないとお金をもらえないわけで、会派結成の動きはより活発になったのではないかと思います。
しかし、この会派というもの、地方議会では余り意識してほしくありません。会派が前に出過ぎると議会はどんどん形骸化してしまいます。特に国会のように政党の党議拘束が強くなり過ぎると、考え方が硬直してしまって「できるだけ多様な意見を入れて施策を練り上げていく」という議会本来の役割が果たせません。「○○党から出てきたものは無条件に反対せよ」なんていうばかなことにもなりかねないわけですね。
議員は、自分に投票してくれた有権者の代表です。しかし、同時に、その自治体の全住民のことを考えて仕事をする立場です。当然、1つ1つの施策について、慎重に考え、少しでもよくできないかという道を探るのが本職です。自分の考えと違うからとか、政党の考え方と違うからと、はなからはねつけてしまうのでは存在する意味はありません。膨大な時間と手間と費用をかけて本会議や委員会をする必要もありません。首長から提案したものを、政党の言うとおり、あるいは自分の狭い枠に当てはめて、瞬時に是非を即決すればいいだけです。
議会を開いて大勢の人が集まって審議をするということは、いろんな人の意見をどうにか少しでも生かしたものができないかという道を探るためでしょう。会派単位で、数の力で、聞く耳を持たずに採決してしまうことは、私は議会・議員の自殺行為だと思います。
極端な話、地方議会における会派というものは、事務局がいろんな情報を伝達したり、事務的な手続を取ってもらったりするときの単位として便利なもの、というぐらいの認識でいいのだと私は思います。最近は議員間討議が行われる議会も増えてきたと思いますが、そういう形で、党や会派という鎧は一旦脱いで、フランクに住民のためによりよい道を探ってください。もちろん、絶対に譲れない政治スタンスというものはあるでしょうが、特に地方議会というのは、そういう鎧を着て喧嘩をするところではありません。「議場は戦場」と言われますが、戦争で一番犠牲になるのは一般市民です。