信頼感

今回は久しぶりに独り言を少し。

前回の投稿で福島原発の処理水のことについて触れましたが、今回の「放出水」というごくミクロな視点で考えると、理解できないことがないわけでもありません。IAEAの基準がどうとか、中国はもちろん他国ではもっと濃度の高いものを排出しているとか、そういうことも多少は理解しています。

それでも、何かすとんと落ちないのはなぜなんでしょうか。と考えると、やはり政府に対する「信頼感」がないから、どんなデータをもっともらしく並べられても「信用できない」という気持ちが先に立ってしまうのでしょうね。

そもそも、小泉純一郎元首相が「だまされた」と言っている原発政策。河野大臣もかつてはインタビューで「原子力ムラ」のことをぼろくそ言っていたと思います。実際に、トイレのない家じゃないか、核燃料サイクルは見通しが立たず、中間処理施設は最終処分場になってしまうのではないかという疑念があったところに、あの津波による福島原発の爆発。「絶対安全だと言っていたではないか」と思うのは自然だと思いますが、それなのに、なお古い原発を動かし、これからも原発を使うと。

もうこれだけでも政府への信用は失墜するわけですが、そこへもってきて、モリ・カケ問題からはじまって、東京五輪でのゴタゴタ、コロナでの訳の分からない無駄遣いや不正などなど、何ひとつしっかりと説明しないままずっと来ていて、さらには、ウクライナ危機などを機に物価が高騰して庶民の生活は大変なのに、インボイスや社会保険料でステルス増税、とどめはマイナ保険証でのとんでもない無駄遣い。

まあ、下らないフランス視察などは「あほか」の一言で片づけたいところですが、そういうことも含めてず~~~っと不満をためていたところに、処理水についても「地元の合意なしには絶対に放出」しないと言っていたのにあっさり放出するんだってよということで、さらに不信感が増幅したわけです。

まあ、国政のことはさておき、地方議会がその都度どのような反応をしてきたか。それはまさに地方議会に対する「信頼感」になるわけで、そういう国のおかしな方向に追随するだけの地方議会は、やはり信頼が置けません。政党の枠組みでガチガチに会派の数で国への追従を決めてしまう地方議会は、はっきり言って存在価値がないと思います。まあ、憲法に規定されている機関なので、そう簡単になくなりはしませんが、そういう思いがどんどん積み重なっていくと、やはり投票に行く気もなくなるし、広報なんかもまともに読もうという気がなくなるわけです。

ということで、国も地方も、議員さん方、そろそろ腹を据えないとやばいんじゃないですか? 今日のニュースで「マイナ保険証で100億円程度のコスト削減に 厚労省が試算」とありましたが、またそんな欺瞞に満ちたような数字を出して。私には、それよりもシール方式のほうがよっぽど現実的で確実な効果があるようにも思えますけどね。